傳書について
芸事であるお習字。
そして高い教養を養う書道。
この二つの融合が「傳書」です。
はじまり
私が10代のころ、父が篆書(実印のような書体)を書いている手元によく見惚れておりました。それは幼い頃商店街にいつも来ていたどじょう屋さんのおじさんの手つきを飽かずに見たいたのと似ています。 どじょう屋さんは使い込んだお風呂で使うような木の椅子に小さく腰をかけ、左右の2個のバケツのうえに年期の入った大きめのまな板を渡して、目打ちでどじょうを固定し腹を裂きます。一寸違わぬ位置に目打ちを刺し一匹づつ割いていく様子に見入ってしまったものです。 父は手入れの行き届いた筆に丁寧に墨をつけ一本一本の線に集中して書いておりました。滲みもせず掠れもせずにきれいな線が生み出されて行く様はどじょうのおじさんの手つきに通じるものがありました。 職人であり、芸術的でもありました。 私が中学に入学した頃、父は会社を辞めて書道塾を始めた脱サラのハシリです。当時家が書道塾になったのはとても嬉しい出来事でした。友達も通って来て、大人のお弟子さんも出入りしてイベントを眺めているような楽しい気分でした。
父への想い
しかし楽しい気分は最初だけで、書道塾の娘である私と妹は書道のお稽古を当たり前に余儀なくされました。
書く事は好きで父の真似事は開塾以前は楽しいお遊びとしてやっておりましたが、「お稽古」としてやらされるようになると、それは話しが違います。一点一画厳しくチェックが入りました。もともと自分にも人にも厳しい人でしたので、書家としての地位を確立してからはますます書家らしく、厳格な雰囲気を漂わせ、父である前に師匠という立場を引退するまで貫き通しました。
書くのは好きだけれどお稽古は大嫌い。逆らうわけにはいかないのでやっているフリはしておりましたが、今思えばやっているフリなんてすぐにバレております。父にしてみれば随分と歯痒い思いをしていた事かと、今更ながら申し訳なく思っております。
それでも書家となり、人様にお伝えする立場となってからすでに45年になります。今、カルチャーや自分の書道塾でお伝えしながら父の教えを振り返り、偉大な芸事、芸術としての父の偉業を一つでもたくさんお伝えしたいと思い「傳書」を立ち上げました。
伝統を未来へ
本来芸事は厳しい世界です。 茶道も華道も武道や日舞なども基本や型を繰り返し練習して身につけていくものです。書道もご多分にもれず一点一画、父から伝えられたようにいわゆる型があり、繰り返すことがとても大切です。繰り返して初めて身につくものです。 そして日本で育ってきた書道は日本の伝統文化をいくつも継承しています。例えば「漢字」も大元は中国ですが日本独特の使い方ですし日本で生まれたひらがなやカタカナの「仮名」もあります。そういう文字を使った歴史に残る文学も伝統文化ということができます。 また床の間に飾られる軸の見方も茶道にもつながる深いものがあります。お稽古に関する礼儀作法というと堅苦しいですが、これもまた日本独特のものであり、お辞儀一つとってもお互いを気遣い関係や時間をスムーズにするための意味のあるものです。 伝統に根ざしたものは、社会生活を恙無く過ごすための方法でもあるのです。お稽古を通して身につくものは美文字だけでなく日本の伝統文化としての教養です。 関わっていただく方々が、しっかりと身につけ、生涯の宝物として生かしまた楽しんでいただくために、そして100年後にも書道が教養ある芸事としてしっかり日本の伝統文化として残っているように、心から願いその橋渡しの一人としてお伝えして参ります。