書道会の歩み
父が書道を始めたのは10歳の頃の展覧会がきっかけだったと言います。
父の生まれ育った群馬の学校で催された展覧会に、たまたま審査員としていらしていた豊道春海(ぶんどうしゅんかい)先生の字に感動し、いつかこの先生の弟子になりたい!と思ったそうです。
この先生は明治から昭和にかけて活躍され、日本の書道界になくてはならない大きな存在の方です。
1945-
父は20代で上京し社会人になった後、偶然にも豊道先生の書展に出会い、教えを請うために門を叩きます。結局豊道先生の一番弟子の川上柏翠先生に師事し書道の道に進みました。サラリーマンだった父は長年の念願叶い、書道のお稽古に仕事以外のほぼすべての時間を費やしていました。朝5時起きして出勤前の時間、そして会社でのお昼休みもお稽古に当てておりました。朝、父がお稽古をしている所に、妹と交代でお茶と梅干しを持って行きましたが、少し張り詰めた空気で緊張しながら運んだものです。
会社でも最初は変人のように言われていたそうですが、徐々に「林さんはそういう人」という位置を確立するまでになります。厳格で意思が強く、やはり変わっていたかと思います。
1963
私が10歳の頃、父は脱サラをして書道塾を自宅で始めました。
自分の雅号から「拓翠書道会」と名付けました。その会で私も妹も当然のように書道のお稽古を始めることになりました。当時、家が書道教室になるのは新鮮で心踊る事でした。居間がお稽古場に変わり、父の師匠から頂戴した木製のお稽古机が並び、その前にお客様用の座卓が先生の机となって一番前に置かれます。遠来のお客様をお迎えするようなワクワクした気持ちでした。今でもその時の気持ちは新鮮に思い出すことができます。
最初は一人、二人のお弟子さんが徐々に増え、やがて子供のお稽古は百人を超えるほどになりました。当時はそろばん塾と書道塾は近隣にも数軒あるほど、子供も多く、また習わせる親御さんも多かったように思います。自宅でやっている事なので、私も妹も当然のように手伝いを始めます。母も師範を取り父と一緒に教えておりました。私達は「書道のお姉さん」(子供達がそう呼んでくれておりました)としてお稽古がスムーズに進むように、子供達の順番や、小さな子の手伝いなど百人を超えるとやる事もたくさんございます。
厳格な父ですから、習いに来る子供達の行儀作法にはとても厳しく、教えたり叱ったりしておりました。それがまた人気の秘訣のようで、行儀作法を教えてくれる、と親御さん達の評判になり、またお弟子さんが集まる!という人気の書道塾でした。
当然、父は私や妹にも厳しく家の中でも親子よりも師弟関係が優先されました。
1970
大人のお弟子さんも増え、新年会やレクリエーションなどイベントもやり始め、その準備などにも私達は参加するようになりました。その頃父は会の益々の発展の祈りを込めて「拓門書道会」と名前を改めました。大きな書道会に所属して展覧会にも参加しておりましたので、私も幸いに文部大臣賞や会の会長賞、都知事賞、サンケイ新聞社賞などの数々の栄誉に浴しました。
当時父は2度ほどテレビ出演をいたしました。北島三郎さんの番組で書道を教え、フジテレビの正月番組でジャッキーチェンさんの書道パフォーマンスの指導をして、近隣では父はちょっとしたスターてございました。
1973-
私が20代の頃、『通販生活』の前身『カタログハウス』で通信教育を全国展開する事になり、父に白羽の矢がたち、私達も講師陣として名を連ねました。その折5年以上に亘り私が広告塔として全国紙や雑誌などの広告に掲載されておりました。
時には見開きの広告もございましたので、新聞を開いたり、美容院で雑誌をめくると巨大な自分の顔に遭遇してはびっくりしたものです。10年ほど続いた通信教育は、時代の流れでしょうか集客も減り縮小に縮小を重ね、やがて『通販生活』はカルチャー部門を閉じる事になりました。
1965
父は思う事があり、大きな書道会を去り自分で競書雑誌を作ることになりました。家での雑用は増え私や妹は子育てをしながら競書雑誌に関わり、日本橋三越や高島屋がやっているカルチャーの講師を務めておりました。展覧会も家のお弟子さんとカルチャーの方々も加わり小さいながらも毎年銀座で開催しておりました。
お陰様で今でも100名を超える参加の方々に支えられて毎年開催しております。数えると50回を遠に超えており、2020年で55周年を迎えます。
2015-
私も2015年にテレビ朝日の「じゅん散歩」に書道塾として出演させて頂きました。高田純次さんに名前と美文字をレクチャーし、水曜朝7時からの「朝活書道」をまた別に収録して放映して頂きました。朝ご飯の手作りのおにぎりが珍しかったようです。
2016年には『MEN’S EX』という雑誌に「朝活書道」が掲載されました。出勤前のお稽古で心も落ち着き一日気持ち良く過ごすことができると評判がよろしいようです。
そして2019年にはテレビ東京 さまーずの「モヤモヤさまぁ~ず2」で番組に出させていただいてご指導させていただきました。大きな紙に書く書き放題は書道の面白さを実感できる楽しいお稽古です。さまーずのお二人の見守る中田中瞳アナがチャレンジして書かれました。楽しくありがたい経験をさせていただきました。
この放送を通じてご要望があり、塾では「書き放題」の講座を何度かやらせていただいております。
これは書道の楽しさをお伝えするにはとても良いようでお陰様でご好評いただいております。
2020-
父は現役を退き、私が会長、副会長を三澤拓琇が務め、常任理事に大森拓爽、増田春鶯、丸島白琇、理事に出町正鶯というメンバーで今後の拓門書道会を担って参ります。
日本の伝統芸能としての書道を、技術と精神性を重んじながらお伝えして参ります。